GOD'S PINK、これぞ、マチュア・ロック

GOD'S PINK のデビューアルバム。
一言で言えば、これは、成熟した ROCK、英語で言う mature(マチュア)な ROCK である。
ROCK という音楽が生まれて、すでに50年は経っていると思うが
もはやここまで、ROCK は、辿り着いてしまったのだなぁ…
そんな深い感慨を覚えるアルバムである。
子どもっぽいもの、カワイイもの、奇天烈なものばかりがもてはやされるこの国で、
このような大人の佇まいの ROCK が生まれ、存在することの意義は大きいと思う。
大体の曲に於いて、音は静かだ。落ち着いている。
騒がず、煽らず、ただゆっくりと、時間と曲が流れていく。
ただ、その静けさは、難解さや、混乱や、アヴァンギャルドという嵐が
過ぎ去った後にだけ訪れる、平穏な空気という気がする。
聴きやすいけど、決してポップではないのだ。
だから、彼らの曲が、ラジオでガンガン流れることは、残念ながら、きっとない。
ただミュージシャンが、年を重ねるように、
ロックを聴くリスナーも、確実に年を重ね、耳が肥えている。
そういう肥えた(越えた?)耳でしか、有り難みがわからない音があるのも事実。
そんなマチュアな ROCK ファンのための音楽が、今求められているような気もしている。
彼らの音楽は、大人の心の中で、ずっとオンエアされるのかもしれない。
人は、生きていく。そして、年を重ねていく。
だが、ただ老いていくのではなく、音楽と一緒に、年を重ねられるのであれば。
音と共に成熟していける、そんな人生であれば。
それは、なんと幸福なことだろう。
彼らの音楽を聴いていると、頭をよぎるミュージシャンがいる。
ロバート・ワイヤット、キップ・ハンラハン、トレーシー・ソーン、ジョー・ヘンリー…
もちろん、GOD'S PINK の音楽と、彼らの音楽はジャンルが同じとか、
スタイルが似ているとかいう、そんな表面的なものではなく
佇まいが似ているというか、音楽への姿勢が似ているのであろう。
奇を衒った音はないので、もしかしたら、
最初は、とても普通に聴こえてしまうかもしれない。
しかし、普通であることは、普遍にもなりえるということ。
彼らは、デビューアルバムにして、その普遍の桃源郷にまで、軽々と到達している。
これは、驚異である。

クリエイティブ・ディレクター 永見浩之

 

 

ラブラドルの光

ラブラドライトという美しい石がある。
それはとても澄んでいるけどくすんで見える、
青かと思えば緑に変わり、そしてピンクへ。
角度と光によって輝きはその都度姿を変える。
けれどいかにその輝きを変えようとも、その色はラブラドライトの色だ。
 
ゴッズピンクはプロデューサーでありデビューアルバム全ての楽曲を書いた、
川端潤の 「 今までにないバンドをやろう 」 との声で結成された。
それゆえ、それぞれ音楽的ベースが異なる、幅広い年代から
実力派ミュージシャンを集めた。
ロックバンドとしてベースとドラムを排した4人編成というアプローチも意欲的だ。
 
ゴッズピンクの核となるボーカルのMarin Harueは
希有な世界観をもったシンガーである。
自分の詩をシンプルな言葉で、シンプルにつなぎ、
ただ想いを込める。吐息まで歌うように、、、
そこにシンガーである事の、唯一無二な価値を見出しているからなのだろう。
だから彼女は美しくシャウトし、美しく囁く、、そう、女優の如く。
 
キーボードの園畑貴之は作曲家であり優れたピアニストである。
微妙な肌触りや空気、色の濃淡、、そんな細やかなニュアンスを
いとも簡単に表現し、作品に昇華出来る優れたクリエーターだ。
 
ギターは元キャロルの内海利勝。
ゴッズピンクでの彼は抑えの効いた、とてもモダンなプレイを聞かせてくれる。
いっぽう時に激しく、そしてせつなく泣く。流石の貫禄だ。
 
パーカッションの林美里はクラシックの打楽器奏者であり、
マリンバのソリストとして、また現代音楽の分野でも活躍するアーティストだ。
その異能の才は、ゴッズピンクがゴッズピンクたらしめている。
 
川端のポップスセンス溢れる楽曲と万琳の放つ言葉、
その世界観を紡ぐ彼らのサウンドは、
懐かしくて新しい、軽やかにしてアンニュイ、シンプルな様でいてゴージャス。
パリのメトロと地中海の湿度を同時にあわせ持ち、
絵画的かと思えば、激しくグルーブする。
 
ラブラドライトのような彼らの多様性を文章で表現する事は難しい。
しかしその色はいつでもゴッズピンクだ。
あえて言えば、、2012年に生まれた、現代のプログレバンドなのか?

神岡たかし

 

 

ALIVE

話しは、寺山修司である。
万琳さんとわたしを繋ぐものは寺山さんだった。
もう30年前になるが、わたしのいたラーメン屋に万琳さんがバイトで入ってきた。
ちょっと変わったおもしろみのある娘だったが、寺山修司が見いだした歌い手、と聞いてそういうことかと思った。
寺山さんは自信の才能もさることながら、他の人の才能を発見する才能があったのである。
寺山さんに言われて、本人も思ってみなかった職業に就いたまま一生を送っている人間を何人も知っている。
かく言うわたしも万琳さんと出会う数年前、劇団『天井桟敷』に家出して訪ねていった時、
寺山さんに言われるままに、ラーメン屋で住み込みで入って、そのまま現在に至るという 、
まあ妥当な人生送っている。
寺山さんは83年に亡くなってしまった。
もう少し長く生きていてくれたら、万琳さんの歌い手人生もまた、今とは変わったものになっただろうか。
しかし大事なことは、万琳さんが、いまだに歌い続けていることだろう。
持続していることこそが「才能」というものの正体なのである。

ラーメン屋店主 ひろの亭 元天井桟敷