『馬頭琴夜想曲』制作回想
初めて日活で清順さんとお会いした時、「役者の鈴木清順です」と挨拶された。
「僕は本当は役者になりたかったんだよ」とも仰られた。
Gスタでお待ちしている時に「清順さんは一人で行きます」とマネージャーの方から電話があり
大丈夫かなと心配になり日活敷地の玄関で待っていると、向かいのバス亭から酸素ボンベを引いて
本当に一人でいらっしゃった。
撮影合間も鼻にチューブが繋がっていた。そして、撮影に入ると元気よく演じられた。
「あっ、清順さんちよっと走ってみて」と木村監督。「はいよっ」と清順さん。
そんな場面が映画にあるのだ。
小夜子さんの衣装は自前だった。赤いエスニックな感じ。爪は黒いマニキュア。
控え室ではビビアン佐藤さんがメイクを手伝っていた。
何かアラブ風であるが、後に友達のシリア人が映画を観て「偽アラブね」と言った。
で、僕はいやいやこれは架空の国のお話なんですよと言っといた。
千秋みつるさんは元宝塚の役者。お姉さんもやはり宝塚出身でシャンソン歌手の深緑夏代さん。
撮影前日の夜は調布の居酒屋で呑んだ。楽しかったのを覚えている。
90歳を過ぎた今も現役でシャンソンを歌っているのだ。
バヤラトはモンゴルから来た馬頭琴奏者。仙台に住んでいる。仙台がテリトリーらしい。
馬頭琴奏者は日本の各地で勢力エリアが決まっているらしい。
家族は遊牧民でパオで移動していたらしい。そして、各家に馬頭琴がお守りとして飾られているらしい。
彼は焼肉が大好きなのだ。恵比寿で一緒に食べた。モンゴルにも行こうという話になったがまだ実現できてない。
本当はモンゴルには「ジンギスカン」はないらしい。羊は大事なのだ。
ある時、木村先生と呑んで歩いている時にボーイソプラノが使いたいと突然仰った。
で、東京荒川少年少女合唱団を思いつき連絡して原田光君を紹介していただいた。
かんの鋭い子だった。
先生が美術としていっぱい機械を置きたい、なにせ彼は発明少年なのだからと言った。
それで僕のスタジオの録音機材を並べたのだが大丈夫だったんだろうか。
あと、先生がこの少年の髪型は変わった感じにしてくれとヘアーメイクに言ったら
鉄腕アトムみたいになってしまった。
清順さんが出演するのでロケ弁はウナ丼にした。
撮影現場でウナギが出たのは初めてだと言って喜んでくださった。
木村先生と清順さんはウナギが好きでよく一緒に食べにいったそうだ。
(遠くのウナギ屋に行く時は清順さんが運転して先生が支払ったらしい。)
これは先生の提案だったのである。
清順さんと木村先生のうれしそうな顔が忘れられない。
余談ではあるが映画の中で使った発泡スチロールのマリア像が撮影後に捨てられていた。
(シスター役のマリンハルエの場面で使われた)
日活学院の生徒が一生懸命に作ったものだ。
「川端くん、神様を捨てるのか」と先生が仰った。
で、僕は自宅に持ち帰る事にして屋根裏に置いた。
今、隠れキリシタンの礼拝堂みたいになっている。
川端潤 (プロデューサー)
Vimeo『馬頭琴夜想曲』
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