ちえんそうにかえろ
五十嵐 宥樹
「馬糞とピオス」
土砂降り予報が的中し、ヤマの現場は昼で切り上げてピオスの畑へ向かう。ピオス君は最近、うんこ集めにハマっている。特に馬糞がいいらしい。知り合いの馬屋さんのところへ、堆肥用のうんこを集めに行くというので同行する。年季の入った軽トラックを飛ばして雨上がりの道を行く。土壌流亡が道路に幾筋もの砂絵を描いていた。
馬屋さんの馬房と放牧地には全部でばんばが11頭。数年前に初めたと聞いて耳を疑うほどの老舗具合。
かあさんと立ち話をしているうちに、テンガロンのトオサン帰宅。その世代の人、特有の静かな気迫を身にまとっている。現役で一次産業やってる70オーバーの男はみんな同じ目をしていて、一度目が合うと容易には離せない。澄んだ瞳に吸い込まれそうに、なんてたとえがロマンスにはあるけれど、自分はいつもこうした爺さんの厳しくて優しい目に吸い寄せられている。労働が磨いた瞳に釘付けになる。
ピオス君持参の特大フォークでうんこをさらって軽トラックに放り込む。ピオス君、いい匂いだあ、いい匂いだあ、と嬉しそう。
ひと段落したところで雨雲が大粒を降らす。珍しい大雨にトオサン、白髭を揺らして笑っている。ハイライトの煙が一緒にゆらゆら揺れて、空へ消えていく。選果場で雨宿りをしながら馬談義、畑談義。わずかな会話の中から、多くのヒントを掴み取るため耳を澄ます。土砂降りが全てを叩くせいでトオサンの声がなかなか聞こえない。多くを語る人ではないが、多くを感じえた。またお邪魔したいと、たしかに思う。
馬屋さんの馬房と放牧地には全部でばんばが11頭。数年前に初めたと聞いて耳を疑うほどの老舗具合。
かあさんと立ち話をしているうちに、テンガロンのトオサン帰宅。その世代の人、特有の静かな気迫を身にまとっている。現役で一次産業やってる70オーバーの男はみんな同じ目をしていて、一度目が合うと容易には離せない。澄んだ瞳に吸い込まれそうに、なんてたとえがロマンスにはあるけれど、自分はいつもこうした爺さんの厳しくて優しい目に吸い寄せられている。労働が磨いた瞳に釘付けになる。
ピオス君持参の特大フォークでうんこをさらって軽トラックに放り込む。ピオス君、いい匂いだあ、いい匂いだあ、と嬉しそう。
ひと段落したところで雨雲が大粒を降らす。珍しい大雨にトオサン、白髭を揺らして笑っている。ハイライトの煙が一緒にゆらゆら揺れて、空へ消えていく。選果場で雨宿りをしながら馬談義、畑談義。わずかな会話の中から、多くのヒントを掴み取るため耳を澄ます。土砂降りが全てを叩くせいでトオサンの声がなかなか聞こえない。多くを語る人ではないが、多くを感じえた。またお邪魔したいと、たしかに思う。
馬糞堆肥で育てたというアスパラをお土産にもたせてくれた。生でかじると果物のような甘さが口に広がる。百姓駆け出しのピオスくんに「生でかじったこの味を覚えておけ。それだけ」って電話が入っていた。
軽トラックから、うんこを下ろすためにトラクターを操るピオス。後方確認しながらハンドルをおおきく回す姿を見て、涙こそ出なかったが目頭が熱くなり、驚く。
2021年の新年。島の飯場で。臭くて旨い焼酎の瓶を毎晩空にしながら無邪気に語りあっていた、、、なんてふりかえるのも正直ダサいんだけど、俺は山仕事で、おまえは畑か。なんてことを毎晩、意志か覚悟みたいなものを確認するためなのか、やたらに杯を重ねた、無為な20代後半の一瞬。それから背負子ひとつで北海道に上陸したお前が、今や5反の耕地を前にトラクターを操っている。去年の秋には笹薮だった地面が今では黒々とした畑に変わり、新品のポールが刺さり、マルチが敷かれている。定植されたトマトの苗が、黒い地面からにょきにょきと顔を出している。雨上がりの白い青をバックに、赤いトラクターが妙に映えていたせいなのか、そんな記憶、同居をはじめて、家を出て「暖簾分け」してからの今までが一挙に押し寄せてきて、心が動いたのかもしれない。―ピオス君は農夫になりました。
軽トラックから、うんこを下ろすためにトラクターを操るピオス。後方確認しながらハンドルをおおきく回す姿を見て、涙こそ出なかったが目頭が熱くなり、驚く。
2021年の新年。島の飯場で。臭くて旨い焼酎の瓶を毎晩空にしながら無邪気に語りあっていた、、、なんてふりかえるのも正直ダサいんだけど、俺は山仕事で、おまえは畑か。なんてことを毎晩、意志か覚悟みたいなものを確認するためなのか、やたらに杯を重ねた、無為な20代後半の一瞬。それから背負子ひとつで北海道に上陸したお前が、今や5反の耕地を前にトラクターを操っている。去年の秋には笹薮だった地面が今では黒々とした畑に変わり、新品のポールが刺さり、マルチが敷かれている。定植されたトマトの苗が、黒い地面からにょきにょきと顔を出している。雨上がりの白い青をバックに、赤いトラクターが妙に映えていたせいなのか、そんな記憶、同居をはじめて、家を出て「暖簾分け」してからの今までが一挙に押し寄せてきて、心が動いたのかもしれない。―ピオス君は農夫になりました。
「紙か木か」
300年前に作られた椅子が、修理を待っているのに出くわした。東北のとある工房で。 これから、職人の手で座面が張り替えられ「現役」として復活し、人の手に渡ろうとしている。木部の樹種が、何であるかまではわからなかったが、この木の存在している時間のなんと永いことか。
ごく当たり前の話として、山に生える木は生きている。光合成をして呼吸をし、他の木と菌類を通じたやり取りをして、生命活動を営んでいる。
樵は、木を切り倒すのが仕事だから、木の命を絶つのが業と言い換えることもできる。初めて市場に出す木を切らせてもらった現場で、その重大さに戸惑ったことを思い出した。 先達の樵によって植えられ、自分よりも長く生きているトドマツを切り倒す。目の前に横たわった長く大きな木の枝を払う。太さ、曲がり、腐れに応じて、丸太に分ける長さを決めていく。
8尺に伐ればパルプ材、12尺に伐れば建材になった。健康で通直な幹であれば迷いが少ないが、幹曲がりや断面に腐れがあると、判断に迷い、建材になれたかもしれない立派なパルプ材をいくつも作ってしまった気がする。
倒した樹木の「第二の人生」を決めるのは他でもない自分だった。
極端な言い方をすれば、自分が殺めた命が、人が暮らす家になるのか、ケツを拭く紙になるのか、決める権限が、樵にはあるのだ。そのことに慄いた。この気持ちに誇張は一切ない。大袈裟と思う向きもあるかもしれないが、それくらい、材として切り倒す樹木は、存在として大きい。
ごく当たり前の話として、山に生える木は生きている。光合成をして呼吸をし、他の木と菌類を通じたやり取りをして、生命活動を営んでいる。
樵は、木を切り倒すのが仕事だから、木の命を絶つのが業と言い換えることもできる。初めて市場に出す木を切らせてもらった現場で、その重大さに戸惑ったことを思い出した。 先達の樵によって植えられ、自分よりも長く生きているトドマツを切り倒す。目の前に横たわった長く大きな木の枝を払う。太さ、曲がり、腐れに応じて、丸太に分ける長さを決めていく。
8尺に伐ればパルプ材、12尺に伐れば建材になった。健康で通直な幹であれば迷いが少ないが、幹曲がりや断面に腐れがあると、判断に迷い、建材になれたかもしれない立派なパルプ材をいくつも作ってしまった気がする。
倒した樹木の「第二の人生」を決めるのは他でもない自分だった。
極端な言い方をすれば、自分が殺めた命が、人が暮らす家になるのか、ケツを拭く紙になるのか、決める権限が、樵にはあるのだ。そのことに慄いた。この気持ちに誇張は一切ない。大袈裟と思う向きもあるかもしれないが、それくらい、材として切り倒す樹木は、存在として大きい。
北海道は、150年近くにわたる収奪林業の結果、大木と呼べる気が本当に少ない。家具材として利用されることの多い広葉樹も、事情は同じである。
で、あるならば。樵としては、丸太作りの過程においては正しい感覚と判断で、家具や建材になれる丸太を「ちゃんと」生産する、というのが当たり前のマナーである。樹木に対しても、山主に対しても。
便所紙として流された紙は、人間の糞と共に焼却されて、その灰はセメントの原料になるようだ。私が便所紙にした木は土へは還れない。次世代の樹木を肥やせない。
私はこれから何百、何千もの樹を伐るのだろうし、その行き先だって、単純ではない。実際には、1本の木から建材とパルプ材の両方が取れることのほうが多いし、払った枝や残された梢はその場で土に還ったり、バイオマス燃料として熱に変わったりすることもある。
けれど、300年遺され、生まれ変わって活躍せんとしている椅子の木部を前にしては、沈黙して、初めての現場を思い出し、考えざるを得なかったのだ。そのように在り続ける木があるということを、駆け出しの私は死ぬまで忘れてはいけないと思う。
で、あるならば。樵としては、丸太作りの過程においては正しい感覚と判断で、家具や建材になれる丸太を「ちゃんと」生産する、というのが当たり前のマナーである。樹木に対しても、山主に対しても。
便所紙として流された紙は、人間の糞と共に焼却されて、その灰はセメントの原料になるようだ。私が便所紙にした木は土へは還れない。次世代の樹木を肥やせない。
私はこれから何百、何千もの樹を伐るのだろうし、その行き先だって、単純ではない。実際には、1本の木から建材とパルプ材の両方が取れることのほうが多いし、払った枝や残された梢はその場で土に還ったり、バイオマス燃料として熱に変わったりすることもある。
けれど、300年遺され、生まれ変わって活躍せんとしている椅子の木部を前にしては、沈黙して、初めての現場を思い出し、考えざるを得なかったのだ。そのように在り続ける木があるということを、駆け出しの私は死ぬまで忘れてはいけないと思う。
「ちえんそうー宣言」
出遅れてもなお、先延ばし
土地とのつながりあるのやら
死ぬまで生き抜く知恵がほしい
グローバルサプライチェーンとは位相の違う、どローカルな供給網が出来たらいい。
捉えきれないほど大きくなった 世界的なモノの流通網。生産と消費の輪っかは地球を何周も取り囲むほど膨大で、グルグルと回り続けている。⻭を食いしばってそれを駆動しているのは、誰で、恩恵を受けているのは誰か。それは、自分が爺さんになっても変わらないのか。
トレーサビリティなどなくても、認証制度などなくても、わかる範囲で、あればいい。友人が育てた野菜を食べ、自分が伐り、割った薪で冬を越してもらえたら。生活必需品の一切を賄うことは不可能でも、生産と消費の輪っこを、手元、足元に手繰り寄せながら生きてみたい。自給自足や、コミューンとはすこし違う生き方を模索する。
自分は木を伐る。その木で椅子を作れるヤツがいて、それに相方が座面を張る。無農薬有機野菜をつくる人がいるかと思えば、牛屋さんも向こうで手を振っている。伝統工法が好きな大工がいて、味にうるさい鹿撃ちがいる。その殆どがみんな、その卵にすぎない、駆け出しや見習いの若造だけど、頼もしい仲間が少しずつ集まり、胎動している。あるいは、よちよちしたり、つかまり立ちをしたりしている。
土地とのつながりあるのやら
死ぬまで生き抜く知恵がほしい
グローバルサプライチェーンとは位相の違う、どローカルな供給網が出来たらいい。
捉えきれないほど大きくなった 世界的なモノの流通網。生産と消費の輪っかは地球を何周も取り囲むほど膨大で、グルグルと回り続けている。⻭を食いしばってそれを駆動しているのは、誰で、恩恵を受けているのは誰か。それは、自分が爺さんになっても変わらないのか。
トレーサビリティなどなくても、認証制度などなくても、わかる範囲で、あればいい。友人が育てた野菜を食べ、自分が伐り、割った薪で冬を越してもらえたら。生活必需品の一切を賄うことは不可能でも、生産と消費の輪っこを、手元、足元に手繰り寄せながら生きてみたい。自給自足や、コミューンとはすこし違う生き方を模索する。
自分は木を伐る。その木で椅子を作れるヤツがいて、それに相方が座面を張る。無農薬有機野菜をつくる人がいるかと思えば、牛屋さんも向こうで手を振っている。伝統工法が好きな大工がいて、味にうるさい鹿撃ちがいる。その殆どがみんな、その卵にすぎない、駆け出しや見習いの若造だけど、頼もしい仲間が少しずつ集まり、胎動している。あるいは、よちよちしたり、つかまり立ちをしたりしている。
それぞれの業をもちよれば、健康で、文化的な、最低限度の生活を営むことができそうだ。寒い北の大地でも、凍えず、くいっぱぐれることなく、年を重ねることができるかもしれない。主食の米や、パンだって食いたい。たまには蕎⻨も。まだまだ仲間がいてほしい。
スロー何某とか、丁寧な何某とか、ライフスタイルとか、よく知らない。アイツの大好物がビッグマックだったとしても、そんなことは彼氏の勝手だとか。時代の流れは早い。そしてどんどん加速する。こちらは遅延がベースなので、基本的に周回遅れ。時代遅れでかまわない。一周回って最先端。そんな、気持ちで靴を履く。今日も働いて、汗をかく。
⻄日が差して、片付けをして、カラスが鳴いたら、ちえんそうにかえろ。
スロー何某とか、丁寧な何某とか、ライフスタイルとか、よく知らない。アイツの大好物がビッグマックだったとしても、そんなことは彼氏の勝手だとか。時代の流れは早い。そしてどんどん加速する。こちらは遅延がベースなので、基本的に周回遅れ。時代遅れでかまわない。一周回って最先端。そんな、気持ちで靴を履く。今日も働いて、汗をかく。
⻄日が差して、片付けをして、カラスが鳴いたら、ちえんそうにかえろ。
プロフィール : 五十嵐 宥樹
94年、福島県生まれ。
北海道に来て探検部に7年在籍。
卒部後は山仕事に魅せられている。
94年、福島県生まれ。
北海道に来て探検部に7年在籍。
卒部後は山仕事に魅せられている。