オヤジの暴走!

 

天国の扉

2019年

 

ウッドストックのロックフェスティバルから50年である。 今年も記念開催が計画されていたが流れたと聞いた。賢明であったと思う。50年前のウッドストックフェスティバルの開催者や、集まった30万人以上の観客にしたところでもはや70歳を越えている。真夏の野外フェスの会場で、3日間どころか、1日だって持ちはしない。 ましてや集まったお姉さんたちとマリファナをキメてフリーセックスなど、救急車が何台あったって足りない。かつては全裸で泳いだ池に土左衛門で浮くなら運のいい方だろう。

などと年寄りイジメをしてみたが、あらかじめにこういう意地悪をしておかないと、いつ何時、ウッドストックのワードを見つけたお客さんが、「懐かしいっすよねぇ」と同意を求めて来かねない。もちろん私が、そういう安易な共有感覚の持ち主ではないことは、FBをご覧になっている方は先刻ご承知のことだと思うけれど、得てして、そういう人って、自分と異なる他者がいるという体験から逃げてきている人なので、自分も他人もまったく区別がついていない。自分の言葉と他人の言葉が、まったくのところ曖昧な領域に漂っているだけの未分化な状態にあることさえ気がついていないので、いったん齟齬ということが明らかにになってしまうと、たやすく再び自分の子供部屋に逃げ込んでしまうのね。 だからできるだけ早く大人の感覚を身につけたかったら、自分の家に、子供部屋は作らない。そうした設計士さんもお客さんの中にはいるのである。 居酒屋ってのは、いたってサンプル収拾には困らないようにできている。

池上彰氏の『この日本で生きる君が知っておくべき「戦後史の学び方」』という東工大のリベラルアーツ講義録を出版したことがある。 その中で、「全共闘 1968年、なぜ学生は怒り狂ったのか?」 そういう問いを今の若い大学生に向けて講義している著書である。

「しかし、いまになってみると、理由がつかめません」 そう結論している。 池上氏はちょうど私と同じ1950年生まれである。同じ年齢だからといって、同じことを経験してきたとは限らない。 ただし私も池上氏も、学生反乱の騒動に加わっていたわけではない。 それでもあの反乱を外部から眺めていて、当事者ではない立場から、学生の反乱も、ウッドストックの体験も一連の動きとして眺めるならば、あるひとつのワードが浮かんでくる。

それは、大澤真幸、あるいはその師である、誰だっけ、後で補足しておきます。とりあえず話を進めるならば、彼らが提唱した「理想の時代」というのが、唯一の確定的な要因でしょう。もはや世界から「理想」という概念が喪失してしまって久しいので、にわかに「理想」と言われても首を傾げるか、嘲笑されるか、そのどちらかだと思いますが、確かにあの時代は、まだ世界中が「理想」という何かに向けて、希望をもっていた時代というのは確かでしょう。 たとえばウッドストックに集まった多くの人びとは、「水瓶座の時代が来る」と熱望していたわけで、あの時代を代表するオフ・ブロードウェイのヒットミュージカル『ヘアー』の中でも、「♪アクエリアス アクエリア〜ス」と高らかに歌われておりました。 人類が進化することで、アクエリアスの時代とクロスすることができる。 こうした宗教の「千年王国」的願望が、アメリカにはあったといえます。

しかし、その理想は、いったいどこからもたらされたのでしょうか。 それはもちろん、彼らの父親母親である、第二次世界大戦を経験してきた人たちによって、ですね。 20世紀に入って、国民国家が近代の目標となるに連れて、20世紀前半期の若者たちは、世界大戦を二度経験しました。しかも第一次と第二次の大戦の平和な期間は、わずかに20年しかない。 これがどういう時間の幅かといえば、平成の30年の間に二度の世界大戦があったと、そういうことですね。 バブル経済の崩壊後、その後始末にあえいだ日本に、二度も世紀大戦が起こったら、と考えてみてください。あなたは、平成ですか、基、平静でいられますか?

そうしたなかで、20歳で第一次の大戦を経験した若者は、第二次が終わったときには、40歳になり、社会の中枢を担う実力を得たときに、さあこれからの理想の世界を作るには、まず平和だ。戦争は二度とごめんだと考えたとしても無理はないと思います。 その結果が、アメリカに押し付けられたと日本人が考えている「平和憲法」の源だったとは、思いませんか?

本来の憲法とは、国内の意思の統一はもちろんですが、広く世界の国々に向けて、日本はこれからこんな国になりますよとアピールする役割もあります。 近年の憲法論議のときに、「現実に合わせて憲法を変えるべきだ」という意見がネット上に流れていましたが、本来の憲法というのは、理想の国の設計図のようなものだと、憲法の素人の私は思います。 「日本は世界の国と同じように、戦争ができる国になろう」とする動きも、日本一国の国内に向けての政治的アピールならば十分に有効でしょう。全国民が一丸となって、外の敵に対して戦争をする。 しかしこれが日本の世界に対する強めの外交だとしたら、日本よりは大国となってた国にとっては、あるいは平和な状態を望む国にとっては、けして望ましいことではないでしょう。 むしろすべての各国間の紛争を、できるだけ武力による解決ではなく、話し合いという外交手段によって戦争を避けていくほうが、よほどに外国の信頼を受けるのではないかと思いますがね。

ウッドストックの時の標語は、「ラブ&ピース」です。愛と平和。50年後のいまとなってはなんのアピールする要素もないただのお題目のように見えています。 けれども第二次世界大戦後、戦争帰りの若者たちが、アメリカでも日本でも大量に生まれてきます。ベビーブーマー世代、日本では「団塊」と呼ばれる世代ですね。 彼らが世間から受けてきた教育なり、映画や小説から受けてきたメッセージなりは、「愛と平和」「自由と平等」そういった民主主義の基本となる教えでした。ですから素直で真面目な子供たちは、世の中がそうした合意によって成り立っていると信じていました。 ところが、いざ成人近くになって、自分が加わろうと準備したときに、なんだか、教えられてきた理想とは、ずいぶん様子が違うじゃないか。 平和を希求するアメリカという国家が、自由の生まれた歳には朝鮮戦争を戦っているし、ケネディ大統領が暗殺された死後、ユーラシア大陸の端っこで、ベトナム戦争が激化している。 すべての国民が平等の権利があるはずなのに、18世紀に奴隷として輸入された黒人たちは、まだ選挙権を得ていない。日常の暮らしにだって、平気で差別が罷り通っている。

なんだか聞いていたのとは、ずいぶん様子が違っている。そんなで出来上がっている現実の社会には、とてもすんなりと同意できるわけではない。 とりあえず決定され済みの世間に対しては、抗議行動を起こそう。 これが「カウンター・カルチャー=対抗文化」の源流ですね。 そのカウンター・カルチャーの武器のひとつとして下位文化のサブカルチャーがあったと思います。 さらに「若者」という括りでも一緒になれるユース・カルチャーもここで勢力を得られました。 ここから「若者vs大人」という対立図式が生まれて、また無邪気に、何も考えずに、ただ、大人になりたくないという、ひとつの流れも生まれてきます。 この流れが、80年代になって「ピーターパン症候群」と呼ばれる病理の判定を生みます。 農薬という科学物質への危険性を指摘した『沈黙の春』の訴えが、このウッドストックの前後から、無農薬や有機栽培へと繋がっていき、さらには当時ニュー・エイジ思想と結びつくのですが、いったんこの流れが源流から離れて、水源地もよくわからなくなりますと、たやすくコマーシャリズムの大波に乗せられて、着いた先が「安倍昭恵」と「バブルおばさん」というのでは、笑えない冗談です。

50年の歴史というのは、こうした歪みを生み出すには十分な時間でしょう。 そんなわけで、ウッドストック50年記念イベントが開催できなくなったのは、そもそもが1968年当時には確かにあった「理想」が、イーグルスが『ホテル・カリフォルニア』で、 「1969年からの<酒精=スピリッツ=精神>は、もう置いてありません」と歌った1977年には、「理想の時代の終了宣言」がなされたと見なされます。 変わって登場したのが、同じ年の『スターウォーズ』『ロッキー』といった映画群であったことは、理想に絶望していたみんなを80年代のエンターテイメントだけの世界に連れていくには、充分な入り口だったようです。

ただし開けた扉が、「天国の門」だったか「地獄の門」だったのか。

ボブ・ディランの『天国の扉』を聞きながらお休みなさい。

 
 

《プロフィール》

ふじえだひろふみ【藤枝博文】ラーメン屋。

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