たんけんたん

 

食傷

2019日8月24日

 

食わず嫌いで置いていた積読を消化。「明日と明後日で考える基準を変え続けろ」という言葉が頭に残った。帯にも書いてあるし、当然か。一つの考え方に固執せずに、色々な考え方でトライアル&エラーを繰り返し、柔軟な人生にせよ。という風に著名な「天才」の言を味わった。食ってみて、これまでの彼への苦手意識がほんの少し和らいだ。

と、そこで陳腐なアイデアが一つ浮かんだ。急がば回れ。目は口程に物を言う。など、生活指針になりえそうな諺や格言を一つ選んで、それに基づいた振る舞いを日替わりでやってみるというもの。「一日一善」で明日は篤志家。「一銭を笑う者は一銭に泣く」で明後日は吝嗇家。友人たちは戸惑うかもしれないな。あるいは、そんな日課に気が付かないかもしれない。せっかちな私は、急ぐ時に遠回りすることなど大嫌いなのだが、思いのほか発見があって面白いのかもしれない。忙殺気味の日々で、意識的に生活のペースを落としてみると、思いのほか作業が捗ったりすることは、ままある気もする。

数年前にビルマ(ミャンマー)関連の用事で博多にお邪魔した際、スタートアップを実践する若者たちが集うシェアハウスに身を寄せた。未だにフィーチャーフォン(ガラケー)を携帯していた私にとって、所謂「最先端」の世界はなんとなく避けてきたところがあったのだが、何か得られるものがあるのではという思いで、友人の伝手を頼ったのだった。

古い長屋を改築した一室が彼らの家だった。立ち上げの2人が住人として暮らし、起業準備に勤しんでいる。そこに、「自分もなにか」とスタートアップの話を聞こうとする若者や、既に事業を始めている大学生の「同僚」たちがひっきりなしに訪れていた。そこに突如として上がりこんだ、ぼさぼさの長髪に伸ばしっぱなしの髭面の私。些か、警戒されているようだった。

正直なところ、常に膝に乗せたMacを叩き、家に従えたスマートスピーカーに音楽をかけさせ(もちろん、「アレクサ!音楽かけて!」と声をかけるだけでよい)、寝食をわすれて狂ったようにプログラミングに熱中する彼らに、私とて面食らった。ガラケーを愛用する私が辟易してしまうのも無理はないだろう。「話が合わない」。話す前からそんな偏見が脳味噌に充満した。思い返せば、とりわけ私が恐れていたのは、ガラケーであることを馬鹿にされる、という些細なことだったような気がする。しかし、杞憂だった。集まった面々は私がガラケー使用者であることに興味を持ち、訳を問いかけることこそはすれど、その選択を冷やかすような人は一人としていなかった。以降、僅かな滞在期間中に、現在のIT事情について多くをご教授いただき、私も、自身が関心のある探検や冒険ついて矮小な知識と考えで返礼した。顔の前に突き立てた両腕のガードが下がっていくのを感じたころに、お互いの顔が見えた。それまでの自らの偏見を恥じた。

新しいコトに貪欲な彼らは、デジタルの世界と縁遠い、大学探検部の汗臭い話にも食指を動かし、旨そうに話を聞いてくれた。いま風でさわやかな彼らの顔のなかでギラギラと光る目玉に好感を、そして畏敬の念を私はもった。スタートアップも、私がやろうとしていることも、未知に向かうという姿勢は共通していた。お互いのもつ要素の枝葉が触れ合い、共感できるものがあったのかもしれない。ITと探検部。ユニークな異種格闘技戦は、純粋に楽しかった。

来月に社長になる予定だ、と言った年下の青年が言う。「アイデア自体に価値はない」。時々仲間からアイデアマンと評価され、自惚れてもいた私。「お前自体に価値はない」と忠告されたような気がして、どきりとした。平静を装い聞けば、個人の脳の中でしか存在しないアイデアは、他の誰が見ることも、感じることもできない。それを形にして初めて、「値打がある」ということらしい。合点した。意識的にスマホを持たない「若者」である私は、「値打」とか損得の話をあまり好かないけれど、「自称アイデアマン」として覚えておいて損はない警句だと、チクリとした痛みを感じながら飲み下した。

さて、さっそく冒頭のアイデアを形にしたら、「価値あるもの」になるだろうか。初日から、捻くれて「頑迷固陋」はどうだろう。色々な考え方を試行するつもりが、結局、頑固一徹が染みついていたりして。

 
 

《プロフィール》

いがらしゆうき【五十嵐宥樹】北大探検部出身。1994年福島県生まれ。大学院生。2013年に探検部に入部して親を泣かせる。現在はミャンマーのカレン州をフィールドに活動する。来るべき探検に備えて日々たんけん中。

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