in memory of peter beard

 

響きと怒りsound and fury-2

2022年1月11日

 

自分は今ここにいるけど、存在しているのはほんの一瞬であって、壁にとまっている蠅のようにたちまちはたかれてしまうのだ。(フランシス・ベーコン)

人生とは路上に落ちた犬の糞だ、というのが十七歳のベーコンが悟ったたった一つの人生知だ。ベーコンの乱雑なアトリエは、まるで路上にぶちまかれたゴミの山で、時の残骸めいたシャンパンやキャビアの空き瓶やもころがっている。その中に、ピーター・ビアードの端正なポートレイトがあって、そうだったべーコンはビアードの歪んだ肖像画を一点ならず描いていたことを思い出した。その苦痛にあえぐ表情は、後年になって象に襲われて瀕死の重傷を負ったときの表情を予見していたかのようだ。ロングアイランドの富裕な家に生まれ育った美しい青年は、アイザック・ディネーセンの『アフリカの日々』を読んで、たちまちにして異郷アフリカとの恋に落ちた。十七歳で、ディネーセンをデンマークに訪ねたとき、老いさらばえたディネーセンは鶴のように痩せていたが、それはエレガンスの精粋ともいえる美しさだ。そのあと、ディネーセンは急逝するので、まさに稲妻の一撃ともいえる邂逅だった。ビアードが世界を震撼させた写真集The End of The Gameは1965年の刊行だが、旱魃による象の死がいったいなにを意味するのか、世界に理解されることもないまま、この青年は、アフリカのツァボォとマンハッタンとを往還するセレブリティとしてVanity Fairの紙面をなんどか飾ることになる。パーテイの常連として、その交友はカポーティ、ウォホール、ミック・ジャガー、ジャクリーヌの妹リー・ラジウィルなど多彩をきわめて、ジョナス・メカスの撮ったムーヴィにも登場している。その後の歳月は、どうだったのか。ときどき目にするポートレイトには、若いときの美しさにかわって、少しずつ邪悪なものがシミのように浮かび上がってきて、目をそむけたくなった。2019年に95歳で没したグロリア・ヴァンダービルトのことが脳裏をかすめた。幼少期に親からの莫大な遺産を相続して、何度か結婚と別離をくりかえし、ナイーブな絵を描いたり、モデルを務めたり、洋服のデザインまで手がけて、90歳を超えてからもカサカサになったドライフラワーのような容貌に、執拗なメイクアップを厚塗りして、社交界に現れていたファション・アイコンだ。その息子のアンダーソン・クーパーは、CNNなどの番組でキャスターを務めていて、生命力の薄い名門の末裔という雰囲気をただよわせている。

ピーター・ビアードが、後世でどんな評価をされるかは分からないし、そんなことのできる者がいるとも思えない。訃報についてもずっと知らなかったので、なにが起きたのかをたどってみて愕然とした。ビアードが認知症をわずらっていたこと、ロングアイランドの住まいから行方を絶って、三週間たってから、公園で死体で発見されたという。ビアードの著作や写真集をひっぱり出して、のこされたインタビューの映像もあらかた見直してみた。三頭のキリンの写真のオリジナルプリントや、お茶目な象のスタンプ版画も持っているが、それを飾ろうという気にはなれなかった。その代わりに、ビアードが撮った映像や、彼が写っているフィルムなどを雑多に見直してみた。雑多!それこそは、ビアードの厖大なスクラップブックの印象で、過ぎ去ってゆく時間を、ハサミで切り取って、ペーストしていくという作業には、終わりというものがないように思えた。ベーコンのアトリエにも通底するカオスに、どうしてそんなに惹かれていたのか?ベーコンは、汚れて歪んだ鏡を見ろ、それがオマエだというように、あけすけな真実を突きつける。絶望するよりは、陽気な狂騒をえらぶピーターパン、ビアードも、The End of The Gameについてインタビューされたときに、話が旱魃や象の死のことにならずに、パーティピープル扱いされることにいらだったのか、なんどかツバを吐くように「響きと怒りsound and fury」ということばを口にしていた。

“It is a tale told by an idiot, full of sound and fury,Signifying nothing”「白痴のしゃべる物語だ、わめき立てる響きと怒りはすさまじいが、意味はなに一つありはしない」。

 
 

《プロフィール》

さえきまこと【佐伯誠】文筆家